宝塚記念の過去を紐解くと気づく、「最強馬」の定義の変化

競馬 G1 過去

宝塚記念は春のグランプリレースとして、有馬記念と同様にファン投票で出走馬が決まるレースです。

6月下旬の実施ということもあり、以前は出走馬が揃わず、G1レースとしての盛り上がりに欠ける、と指摘されたこともありました。

しかし、最近の宝塚記念は、競馬界の変化とともに、注目度が高まりつつあります。

過去の宝塚記念を紐解きながら、こうした変化について語ります。

1:宝塚記念での名馬伝説

他のG1レースと同様に、宝塚記念にも数多くの名馬・名勝負物語がありますが、宝塚記念ならではの特色があります。

それは、レース後に主役の座が変わっているケースがある、ということです。

どういうことなのか、以下の例で考えてみましょう。

1-1:ようやく掴んだG1馬の座~1991年優勝馬メジロライアン~

前年の皐月賞は3着、日本ダービーは2着、菊花賞3着、有馬記念2着。

この年も前走の天皇賞・春で4着。

メジロライアンはG1に挑戦すると、いつもいいレースをします。

しかし、ゴールした時、必ず何か他の馬が前にいるのです。

「いつも善戦するのだけど、勝ち切れない」という馬でした。

しかし、この日のメジロライアンは違いました。

ライバルのメジロマックイーンより先にスパートして、4コーナー手前で先頭に立つと、追い込んでくるメジロマックイーンに前を譲ることなく、先頭でゴールを駆け抜けたのです。

メジロライアンがG1馬となった瞬間でした。

6度目のG1挑戦で、脇役から主役の座を勝ち取ったメジロライアンに、京都競馬場(この年は阪神競馬場が改装工事の為、京都競馬場で行われました)のファンは大きな拍手を贈りました。

1-2:同期のライバルがにらみ合い!!~1999年優勝馬グラスワンダー~

レース前、本馬場入場でのことでした。

阪神競馬場が大きく盛り上がった場面があったのです。

正面スタンド前で、2頭の出走馬が立ち止まったまま、動きません。

2頭は睨み合っているように見えました。

その2頭とは、1番人気のスペシャルウィークと、2番人気のグラスワンダーでした。

この2頭による2強対決、というのが、多くの評論家、ファンの見解でした。

その2頭がレース前から火花を散らしていたのです。

レースは、4~5番手を進むスペシャルウィークをグラスワンダーがマークするような形で進み、最後の直線で抜け出したこのライバル2頭が並ぶ形に。

叩き合いを制したのはグラスワンダーの方でした。

グラスワンダーはスペシャルウィークに3馬身差をつけて勝利。

この2頭に割って入ることができる馬はいませんでした。

同じ1995年に産まれた2頭はその後、年末の有馬記念でも対決し、ハナ差の大接戦でグラスワンダーに軍配が上がります。

この2頭が対決したのは、この2回だけでしたが、激しい戦いに多くの競馬ファンが酔いしれたのでした。

1-3:ようやくリベンジを果たす!!~2001年優勝馬メイショウドトウ~

メイショウドトウは、前年の宝塚記念にも出走していました。

結果は2着でした。

その後のメイショウドトウは、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念と、G1で2着という成績を繰り返します。

そして、この年も前走の天皇賞・春で2着でした。

G1では、2着が5回続いていたのです。

敗れた相手は全てテイエムオペラオーでした。

テイエムオペラオーを破らないと、主役の座を掴むことはできません。

そして迎えた2001年の宝塚記念で、メイショウドトウは3コーナーからロングスパートという奇策に出ます。

そのメイショウドトウをテイエムオペラオーが追いかけますが、メイショウドトウは最後までテイエムオペラオーに前を譲りませんでした。

G1で5回も負け続けていた相手に、ついにリベンジを果たしたのです。

メイショウドトウも、テイエムオペラオーも、1996年に産まれた同期でした。

2頭は翌2002年、共に引退したのですが、引退式も2頭の関係者が合同で行うなど、何かと縁が深い間柄だったのです。

2:波乱となった宝塚記念

どちらかと言えば、本命サイドで決着することが多い宝塚記念ですが、大波乱の決着となったケースもありました。

波乱となる年の宝塚記念は不思議な程、思いがけないドラマが付録として付いてきます。

そのドラマの内容が興味深いものばかりなのも特徴的ですので、ご紹介しましょう。

2-1:2003年優勝馬ヒシミラクルで有名になったオジサン

前年の菊花賞は10番人気、前走の天皇賞・春は7番人気、そしてこの宝塚記念は6番人気と、ヒシミラクルが獲得した3つのG1タイトルは、いずれも人気薄でのものでした。

人気がない理由ははっきりしていました。

菊花賞の時は、前走の神戸新聞杯で6着と大敗していました。

天皇賞・春の時は、その前の3走でいずれも掲示板に載ることができなかったのです。

そして、この宝塚記念では過去2回のG1勝ちが長距離戦によるもので、距離が短縮されることを疑問視する声があったのです。

ヒシミラクルは、そんな前評判を跳ね除けて宝塚記念を勝利したのです。

この宝塚記念ですが、競馬場の外で話題となった出来事がありました。

東京都内のウインズで、ヒシミラクルの単勝に1000万円を注ぎ込んだ人がいたのです。

この時、ヒシミラクルは最終的には6番人気だったのですが、前日発売時に1番人気となっている時間帯があったのです。

スポーツ紙等を賑わせたこの話題ですが、ヒシミラクルが勝ったことにより、この人は2億円近い金額の払い戻しを受けることになったのです。

高額の払い戻しとなる為に、JRAが「払い戻しの前に、連絡をください」と呼びかける異例の事態となりました。

この単勝馬券を購入したのは中年のオジサンだったようで、彼は「ヒシミラクルおじさん」と呼ばれ、時の人となったのでした。

2-2:2005年優勝馬スイープトウショウが見せた牝馬の意地

近年は、マリアライト(2016年)、リスグラシュー(2019年)、クロノジェネシス(2020年、2021年)など、牝馬の活躍が目立つ宝塚記念ですが、牝馬が全く勝てない時期がありました。

1966年にエイトクラウンが勝利した後、牝馬が宝塚記念を勝利したのは39年後のことだったのです。

39年ぶりに牝馬で宝塚記念を優勝したのは、スイープトウショウでした。

前年の秋華賞馬で、前走の安田記念でも2着に入っていた実力馬が、その快挙を演じて見せたのでした。

牝馬が勝てないレースということで、この日のスイープトウショウは11番人気という低評価だったこともあり、多くのファンを驚かせる勝利となったのです。

しかし、この勝利は決してフロックではありませんでした。

この年の秋にはエリザベス女王杯を優勝して、3つ目のG1タイトルを獲得。

その後は故障が判明して、長期休養を余儀なくされますが、復帰戦となった翌年の京都大賞典を勝利し、その実力を多くの競馬ファンに証明してみせたのです。

世界的に、牝馬の活躍が目立つ昨今ですが、スイープトウショウはその先駆けと言っても過言ではない存在だったのです。

2-3:ベテラン騎手がブレイク!!~2010年優勝馬ナカヤマフェスタ~

騎手が宝塚記念のような大きなレースを勝つことによって、ご祝儀のような形で騎乗依頼がある、などということが競馬社会では時々あります。

しかし、多くは若手騎手に当てはまるケースなのですが、この年の宝塚記念では、勝利したベテラン騎手に意外な注目が集まりました。

この年の優勝馬はナカヤマフェスタでした。

前年のセントライト記念で優勝していますが、G1勝利はこれが初めてで、8番人気の伏兵馬の勝利に多くのファンは驚かされました。

しかし、馬以上に多くのファンを驚かせたのは、ナカヤマフェスタの手綱を取っていた柴田善臣騎手でした。

2006年の高松宮記念(オレハマッテルゼ)以来、4年ぶりのG1勝利にも驚かされたのですが、柴田善臣騎手は宝塚記念の翌週に行われたラジオNIKKEI賞をアロマカフェで、さらに翌週の七夕賞をドモナラズでそれぞれ勝利し、3週連続での重賞勝利を挙げたのです。

ベテラン騎手の突然のブレイクに、ファンや関係者は騒然となり、話題を集めたのでした。

3:注目度が上がる宝塚記念

宝塚記念が行われる6月下旬は、梅雨時で気温も高く、競走馬のコンディションを維持するのが難しい時期でもあります。

かつて、宝塚記念がG1レースとしての盛り上がりに欠ける存在だったのは、こうした時期との兼ね合いもその理由でした。

しかし、近年の宝塚記念はその様子が一変しつつあります。

その理由を考えてみたいと思います。

3-1:近年は牝馬が活躍

前述した通り、近年の宝塚記念は牝馬の活躍が目立っています。

古馬の牝馬にとって、春のG1シーズンにおいて目標とすることが多いレースは、大阪杯やヴィクトリアマイル、安田記念といったあたりになりそうです。

しかし、ヴィクトリアマイルや安田記念はマイル戦ですので、距離が不向きという馬もいます。

そんな牝馬たちは大阪杯の後、この宝塚記念を目指すことが多いのです。

大阪杯から宝塚記念まではややレース間隔が空きますので、疲れを心配する必要はありません。

宝塚記念は牝馬にとって、いい目標となるレースなのです。

牝馬が活躍する近年の傾向もあり、宝塚記念で好走する牝馬が目立つようになったのです。

3-2:天皇賞・春よりも宝塚記念?!

牡馬の中にも、宝塚記念を春のG1シーズンにおける最大目標とする馬が目立つようになりました。

3200メートル戦で争われる天皇賞・春が長過ぎると陣営に判断された馬たちが、大阪杯から宝塚記念を目指すようになったのです。

世界的にも、スタミナよりスピードが重視されるようになり、引退後における種牡馬や繁殖牝馬としての価値にも変化が生じています。

3200メートルの天皇賞・春よりも、2200メートルの宝塚記念を勝った馬の方が、引退後に産まれる産駒の価値が高くなる時代となったのです。

こうした馬産地における動向も、宝塚記念の価値を挙げる理由のひとつとなっているのです。

まとめ

今回取り上げた宝塚記念優勝馬のうち、ナカヤマフェスタは宝塚記念の後、フランスに渡り、凱旋門賞でも2着に入る健闘を見せました。

宝塚記念の後、凱旋門賞挑戦を表明する陣営が増えています。

宝塚記念を勝つ、ということが、日本競馬界を代表する存在になったということなのでしょう。

この傾向は今後も続くに違いありません。

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