日本競馬界の1年を締めくくるビッグレース、有馬記念。
1956年に「中山グランプリ」として創設されて以来、競馬ファンの記憶に残る様々なドラマが繰り広げられてきました。
涙なしには語ることができない名勝負が繰り広げられたこともあれば、多くの人が予期できない大波乱の結末を迎えたこともありました。
そんな年末の大一番、有馬記念を過去のレースとともに振り返ります。
1:多くの人が涙を流した有馬記念
過去の有馬記念を振り返ると、その瞬間を思い出す度に、思わず涙してしまうシーンがいくつかあることに気付かされます。
中には日本競馬史に残る名シーンが繰り広げられることがあるのも、有馬記念ならではです。
世代や競馬歴によって、振り返りたくなるレースは様々ですが、その例として、オグリキャップとトウカイテイオーという、2頭の勝ち馬を紹介します。
1-1:その瞬間、誰もが我を忘れた1990年優勝馬オグリキャップ
現在まで続く競馬の人気を語る上で、オグリキャップの存在を無視することはできません。
笠松競馬場という、小さな地方競馬場から中央競馬に移籍し、1988年の有馬記念や1989年のマイルチャンピオンシップ、1990年の安田記念などといったG1タイトルを獲得したオグリキャップは、当時の日本競馬界を代表するスターホースでした。
ところが、安田記念を勝利した後、オグリキャップに異変が見られるようになりました。
続く宝塚記念で、前を行くオサイチジョージを捕らえることができず、2着に敗れると、夏場の休養を挟んで挑んだ天皇賞・秋は6着という結果に終わります。
デビューして以来、掲示板を外したのはこの時が初めてでした。
そして、続くジャパンカップでは11着と、初めて二桁着順を経験します。
前年のジャパンカップでニュージーランドからやってきたホーリックスと世界レコードでの叩き合いを演じた(2着)時と、同じ馬とは思えない姿に失望した競馬ファンは少なくありませんでした。
大敗したジャパンカップの後、オグリキャップの陣営から次走の有馬記念を最後に引退することと、その引退レースにおける手綱を武豊騎手が取ることが発表されました。
武豊騎手とコンビを組むのは、安田記念を勝利して以来でした。
そのラストランとなった有馬記念で、オグリキャップは最後の力を振り絞ります。
4コーナーを2番手のポジションで通過したオグリキャップは、最後の直線で先頭に浮上し、後方から迫るメジロライアンやホワイトストーンを振り切って1着でゴール板を駆け抜けます。
その瞬間は誰もが冷静でいることはできませんでした。
競馬場内では「さあ頑張るぞ、オグリキャップ!!」と実況アナウンサーが叫び、テレビではメジロライアンを本命にしていた解説者が「ライアン!!ライアン!!」と絶叫、その横では別の実況アナウンサーがゴール直後に左手を挙げた武豊騎手を「右手が上がった武豊!!」と間違えてしまう事態に。
そして「オグリ!!オグリ!!」というコールが中山競馬場内を包み込みます。
その「オグリコール」は中山競馬場の近隣に住んでいる人にも聞こえるほどだったとのこと。
テレビ中継では、出演者たちが号泣してしまう状況でした。
日本競馬史にオグリキャップの成績を上回る実績を残した馬は数多く存在します。
それでも、このオグリキャップのラストランほどの感動をファンに与えた馬は実在しないかもしれません。
1-2:競馬の常識を超えた1993年優勝馬トウカイテイオー
トウカイテイオーと言えば、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフの代表産駒と言っても過言ではない馬です。
その父シンボリルドルフの成績を上回ることはできませんでしたが、1991年には父と同様に皐月賞と日本ダービーを優勝。
さらに翌1992年には海外からやってきた強豪たちを相手にジャパンカップでも勝利します。
しかし、そのジャパンカップの後、体調を崩し、有馬記念で11着と大敗します。
その後、休養に入ったトウカイテイオーは復帰に1年を要することになったのです。復帰レースは前年に惨敗している有馬記念でした。
当時の日本競馬界では、1年間休んでいた馬がいきなり好走するということは常識的に考えられない話でした。
レース直前のトウカイテイオーは、栗東トレーニングセンターの坂路コースをフラフラと蛇行するように走っていました。
報道により、そんなトウカイテイオーの姿を知った多くのファンは全盛期の状態にはないと判断し、単勝オッズ順では4番目の人気に留まっていました。
ところが、レースではそのトウカイテイオーが渾身の一撃を見せつけます。ゴール手前で菊花賞馬ビワハヤヒデを捕まえ、1/2馬身差で勝利。日本中の競馬ファンを驚かせ、そして感動の涙を誘いました。
常識では考えられない1年ぶりの出走による勝利ですが、これが名馬と呼ばれる馬が持つ地力なのかもしれません。
トウカイテイオーは競走成績では父のシンボリルドルフに及びませんでしたが、記憶に残る馬としては父親と同等以上のインパクトを持つ存在でした。
2:競馬史に残る大波乱となった有馬記念
有馬記念と聞くと「波乱が多いレース」という印象を持つ競馬ファンは少なくありません。
馬券でいい想いができない1年を過ごした人でも、その波乱を読み切ることで1年の負けを全て取り返すことができるかもしれません。
過去には、有馬記念の馬券を的中させることで、そんな一発逆転を果たすことができそうな、驚愕の結果となったこともありました。
そんな大波乱となった有馬記念の例を、3件ほどご紹介します。
2-1:実況アナウンサーも「これはビックリ!」1991年優勝馬ダイユウサク
この年の有馬記念で1番人気に支持されていた馬は、国内では最強という評価を集めていたメジロマックイーンでした。
単勝オッズは1.7倍で、誰もが「負けるはずがない」と考えていました。
しかし、最後の直線で発生した異変に、多くの競馬ファンは驚きの声を挙げることになります。
先頭に躍り出たメジロマックイーンの内側をスルスルと伸びてくる馬が1頭現れたのです。
その馬の名はダイユウサク。
内側を突き抜けるようにしてメジロマックイーンを交わすと、そのまま1馬身1/4差をつけて先頭でゴール板を駆け抜けます。
その様子に、実況アナウンサーは「これはビックリ、ダイユウサク!!」と思わずさけんでしまうことに。
ビックリするのも無理はありません。
この年の有馬記念には15頭が出走していましたが、ダイユウサクは何と14番人気という、全く注目されていなかった馬だったのです。
単勝の払戻金は13,790円という大波乱となりました。
ダイユウサクはG1タイトルとは全く無縁の存在でした。
重賞勝利もこの年の正月に勝利したG3の金杯(西)がひとつだけという、伏兵だったのです。
この大波乱の結末に、全国の競馬ファンは競馬場やテレビの前で大きな溜息をつくことになってしまったのでした。
2-2:年末の大逃亡劇!!1992年優勝馬メジロパーマー
この年の有馬記念で1番人気に支持されていた馬はトウカイテイオーでした。
前走のジャパンカップで海外からやってきた強豪たちを相手に勝利したトウカイテイオーでしたが、レース前に馬体重が発表された時、ほとんどの競馬ファンは驚きの声を挙げることになります。
トウカイテイオーの馬体重がジャパンカップから10キロも減っていたのです。
競走馬にとって、馬体重が増える時期でもある冬場に10キロ減というのはコンディションに問題がない限り、考えられることではありませんが、直前の調教において、そのトウカイテイオーの異変を見抜くことができた人はいませんでした。
有馬記念のゲートが開いた瞬間、トウカイテイオーは出遅れてしまいますが、トウカイテイオーの強さを知っている多くの騎手たちは、後方にいるトウカイテイオーを意識しながらレースを進めます。
しかし、そのトウカイテイオーを全く意識せず、レースを進めていた馬がいました。
その馬が2番手以下を大きく引き離して逃げる姿は同じ年の宝塚記念を逃げ切った時と全く同じものでした。
宝塚記念を優勝したメジロパーマーが後続を大きく引き離しながらも、楽なペースでの走りになっていることに、他の騎手たちが気づいた時、そのメジロパーマーはもう捕まえるのが困難なほど、前を走っていたのです。
早めに気づいたのはレガシーワールドだけでした。
レガシーワールドは最後の直線で猛然と追い込み、メジロパーマーに並びかける形でゴールし、写真判定に持ち込みます。
軍配はハナ差でメジロパーマーに上がりました。
この時、メジロパーマーは16頭立ての15番人気でした。全くマークされていない逃げ馬の怖さを、多くのファンは再認識させられる結果となったのです。
2-3:裏街道から主役となった2015年優勝馬ゴールドアクター
有馬記念に出走する馬たちの多くは、G1戦線を戦い続けています。
この年の有馬記念もゴールドシップやラブリーデイ、マリアライト、キタサンブラックなど、G1タイトルを獲得している馬たちが集結しての戦いとなりました。
菊花賞馬キタサンブラックが逃げる展開となったこの年の有馬記念は、そのキタサンブラックの脚色がなかなか衰えず、そのキタサンブラックに1番人気のゴールドシップが迫る形で最後の直線で、思わぬ展開が待っていました。
キタサンブラックを交わして先頭に躍り出た馬に、日本中の競馬ファンは驚きの声を挙げることになります。
ゴールドはゴールドでも、ゴールドシップではなく、8番人気の伏兵ゴールドアクターだったのです。
ゴールドアクターは前年の菊花賞で3着に入った実績のある馬でしたが、その後はG1レースへの出走はなく、前走のG2戦アルゼンチン共和国杯を勝利して駒を進めた有馬記念で、大仕事をやってのけたのです。
手綱を取った吉田隼人騎手も、これが初めてのG1勝利でした。
ローカル開催での騎乗機会が多い騎手がいきなり主役の座に輝いたのです。
人馬ともに裏街道を歩んできたコンビが、年末の大一番でスポットライトを浴びた瞬間でした。
3:有馬記念というドラマはどうして生まれるのか?
想定外のドラマが生まれることが多い、過去の有馬記念から、特にドラマ性が高い例を5件ほど紹介しました。
どうして有馬記念はこんなに魅力的なレースが多いのでしょうか?
その理由を考察すると、有馬記念が他のG1レースにはない、独特の要素が存在することに気付かされます。
その理由を2点ご紹介します。
3-1:消耗戦であるが故の面白さ
有馬記念は秋のG1戦線における最終戦として位置づけられています。
秋のG1戦線がスタートする際、最大目標を天皇賞・秋やジャパンカップと位置づける陣営は少なくありません。
3歳馬なら秋華賞や菊花賞、牝馬ならエリザベス女王杯というケースもあるでしょう。
しかし、秋のG1戦線が始まる段階で「最大目標は有馬記念です」という声を聞くことはまずありません。
何故なら、その前に行われるG1レースも有馬記念と同様に、何が何でも勝ちたいレースなのです。
その為、有馬記念ではなく、その前のG1レースで目一杯の状態に仕上げられます。
有馬記念は、既に100%の状態に仕上げられている馬がその余勢を駆って出走するレースなのです。
従って、前走以上の状態で有馬記念に挑む、というケースはあまり多くありません。
前走の状態をどの程度まで維持できているのか?が大きなポイントとなります。
1年ぶりの出走で有馬記念を制したトウカイテイオーの場合、その前のG1レースに出走していなかったことで、消耗が全くなかったことが好結果を生んだ可能性があります。
ゴールドアクターの場合も、前走が100%の状態で挑むのではないG2戦だったことも勝因のひとつだったと考えられます。
ある意味では、有馬記念は消耗戦と言えるでしょう。
消耗が少ない馬、消耗と無縁な馬が大きな仕事を成し遂げるレースなのかもしれません。
3-2:中山競馬場には魔物が棲む?!
JRAでG1競走が行われる競馬場は、東京・中山・京都・阪神・中京の5つです。
過去には中山競馬場の改修工事に伴い、新潟競馬場でスプリンターズSが行われたこともありますので、新潟も加えた6つの競馬場を比較してみたいと思います。
この6つの競馬場のうち、中山競馬場だけが持つ大きな特徴があります。小回りコースで、4コーナーからゴールまでの距離が短いのです。
この為、他の競馬場では活躍できない馬が中山競馬場では水を得た魚のように好走する、というケースが時々見られます。
この中山競馬場だけで見られる特徴が、有馬記念でも見られることが多いのです。
その意味では、「中山競馬場には魔物が棲む」と言ってもいいのかもしれません。
この特徴は、有馬記念が持つドラマ性とも無関係ではないでしょう。
まとめ
普段はあまり競馬に関心を持たない人でも、有馬記念の馬券だけは買う、という人は少なくありません。
年末ジャンボ宝くじのような感覚なのでしょう。
しかし、その結果がもたらす驚きや感動は、宝くじとは全く異なるものですので、有馬記念をきっかけとして、競馬ファンになる人も実在します。
果たして、今年の有馬記念にはどんなドラマが待っているでしょうか?
そして、新たな競馬ファンをどの程度獲得できるでしょうか?