全てのホースマンたちの夢舞台、日本ダービーの過去を振り返る

競馬 G1 過去

馬主、調教師、騎手、厩務員など、競馬に関わる全てのホースマンたちにとって、ダービーはG1レースの中でも、特別なレースです。

勝った馬は「ダービー馬」、その馬を管理している調教師は「ダービートレーナー」、手綱を取っていた騎手は「ダービージョッキー」と呼ばれ、後々まで語り継がれる存在となります。

過去に行われた日本ダービーについて語りながら、ダービーが持つ特別な意味を考えてみたいと思います。

1:ダービー馬達が後世に残したもの

ダービーは特別な舞台であるが故に、優勝馬に関する様々なドラマが語られることがあります。そのドラマを知ることで、ダービーというレースの持つ意味を再認識させられます。

競馬ファンの多くはダービーがやってくる度に、毎年ダービーについての再認識を繰り返すのです。

次に挙げる、過去の日本ダービーも、そんな再認識をさせられるダービーでした。

1-1:親子でダービー馬に!!1991年優勝馬トウカイテイオー

「ダービー馬はダービー馬から」という格言があることをご存知でしょうか?

ダービー馬になる馬を探すには、その父親もダービー馬である馬を探すべきだ、という格言です。

トウカイテイオーが勝った1991年の日本ダービーはまさにそんなレースでした。

トウカイテイオーの父は、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフです。

その父シンボリルドルフと同様、トウカイテイオーもデビューから無敗のまま、皐月賞、そしてダービーで優勝したのです。

シンボリルドルフがダービーを勝ったのは1984年のことでした。

トウカイテイオーが親子2代でのダービー制覇を果たした時、多くのメディアはその7年前についても語り、多くのファンが当時を思い出しました。

後には、タニノギムレット、ネオユニヴァース、キングカメハメハなどといったダービー馬の産駒からも、ダービー馬が出現しています。

競馬を長く続けていると、こうした血統のロマンに触れることができるのであり、それが競馬ファンとしてのひとつの楽しみになるのです。

1-2:1996年優勝馬フサイチコンコルドは、ダービーの常識を変えた馬

ダービーは3歳馬限定のG1競走です。

早い馬は前年の2歳時にデビューし、年末には2歳馬限定のG1レースもあります。

年が明けて、3歳馬となった後も皐月賞へ向けてのステップレース、トライアルレースがあり、そして皐月賞に駒を進める馬もいます。

さらに、皐月賞後も日本ダービーへ向けてのステップレース、トライアルレースが続き、そして本番の日本ダービーを迎えるのです。

ところが、こうしたステップレース、トライアルレースをほぼ無視する形でダービー馬となった馬がいます。

1996年の日本ダービーを優勝したフサイチコンコルドです。

この年の1月、新馬戦を快勝したフサイチコンコルドですが、生まれながら体質が弱く、2戦目は2ヶ月後のすみれSまで待たされました。

そのすみれSも勝利しますが、その後は発熱で皐月賞に出走することができず、さらにダービートライアルのプリンシパルSへ出走する為に東京競馬場に輸送したところで再び発熱して、出走回避を余儀なくされます。

この為、フサイチコンコルドは新馬戦とすみれSのわずか2戦で、日本ダービーへの出走となったのです。

実績で見劣るフサイチコンコルドは7番人気という低評価でしたが、最後の直線で良血馬ダンスインザダークを差し切り、わずかキャリア2戦でダービー馬の称号を手にすることになったのです。

フサイチコンコルド自身もフランスダービー馬カーリアンの産駒という良血馬でした。

その血統がもたらした、わずかキャリア2戦でのダービー制覇は1943年のクリフジ以来となる快挙で、多くの競馬ファンの記憶に残るダービーとなりました。

1-3:1997年優勝馬サニーブライアンはダービーに全てを賭けた!!

そのフサイチコンコルドがダービー馬となった翌年、1997年の日本ダービーを優勝したサニーブライアンは、フサイチコンコルドとは全く正反対のダービー馬でした。

フサイチコンコルドはキャリア2戦でダービーに駒を進めましたが、サニーブライアンはダービーまで9戦を要しています。

前年の10月に新馬戦を勝ちましたが、2勝目は6戦目、翌1月のジュニアカップでした。

続く弥生賞では3着、若葉Sは4着と結果を残すことができず、皐月賞は11番人気という低評価でした。

皐月賞ではその低い評価を覆して勝利し、さらに日本ダービーを連勝。

皐月賞の勝利をフロック視した評論家、競馬ファンも多かったせいか、6番人気という、ダービーに挑む皐月賞馬とは思えないほど、注目を集めていませんでした。

ダービー制覇の瞬間、テレビの実況アナウンサーは「もうフロックでも、何でもない!!」と叫びます。

そんな注目されない中でのダービー制覇となったサニーブライアンでしたが、その後に故障が発生し、再びターフにその姿を現すことはありませんでした。

周囲の低評価を覆すべく見せた、渾身の一撃で掴んだダービー馬の称号だったのかもしれません。

1-4:2007年優勝馬ウオッカが作った歴史

フサイチコンコルド以前に、キャリア2戦でダービー馬となったクリフジは牝馬でした。

ダービーとなった牝馬はクリフジが史上2頭目でした。

しかし、そのクリフジ以降、ダービーを勝つ3頭目の牝馬が登場するまで、半世紀以上の月日が流れます。

そのダービー馬となった3頭目の牝馬は、2007年に勝利したウオッカでした。

牝馬の場合、ダービーの1週前にオークスという、牝馬限定のG1レースがあります。

そのオークスもダービーと同様に、3歳馬しか出走できない、一生に一度というレースです。

ダービーはオークスと異なり、牡馬を相手にしなければなりませんので、相手はオークスよりも強くなります。

基本的にはダービーか、オークスか、どちらかを選択しなければなりません。

どちらもG1ですから、「ダービーではなく、オークスなら勝っていたのに」というケースもあり得ます。

牝馬にとって、ダービーに駒を進めるのはリスクの大きな選択となります。

ウオッカもそんなハイリスクな選択の末に勝ち取った、ダービー馬の座だったのです。

2:名手が語る「ダービージョッキー」の重み

日本ダービーは出走馬に関わるホースマンたちにとっても、特別な舞台です。

特に、優勝馬の手綱を取った騎手は「ダービージョッキー」と呼ばれ、その名は後世に語り継がれます。

馬と同様、騎手にとっても、日本ダービーというレースには様々なドラマがあるのは、そんな特別なレースだからなのです。

歴代のダービージョッキーには、名手と呼ばれる騎手たちの名前が並びます。

そんなダービージョッキーたちのドラマもご紹介しましょう。

2-1:1990年優勝馬アイネスフウジンの中野栄治に待っていたレース後のサプライズ

現在、日本の競馬は年齢・性別を問わず、多くのファンを集める娯楽となっていますが、こうした人気を集めるようになったのは、このアイネスフウジンがダービー馬となった、この頃からではないでしょうか。

オグリキャップなどのスターホースが出現し、デビューして間もない若き天才騎手、武豊騎手などがG1レースで勝利する姿に、競馬場は若い人たちも当たり前のように集う場所となりました。

その時代の変化を感じることができるきっかけとなった日本ダービーとして、このレースは語り継がれています。

レースはスタートからハナを奪い、逃げる形となった、中野栄治騎手騎乗のアイネスフウジンが、最後まで他の人馬に前を譲ることなく、先頭でゴール板を駆け抜けます。

その勝利の瞬間、当時としては信じられない出来事が場内に沸き起こります。

「ナ・カ・ノ!!」「ナ・カ・ノ!!」と、勝利したアイネスフウジンの手綱を取った中野栄治騎手を称えるコールが場内を包み込んだのです。

競馬場ではなく、野球場のような光景に、古くから競馬を見続けていた評論家やファンの中には、涙を流す人もいたといいます。

競馬という競技が、社会から受け入れられる証となった出来事だと考えていいでしょう。

この「ナカノ」コールは、日本競馬史における画期的な出来事と評価する人たちも出現するほどのものとなったのです。

2-2:1993年優勝馬ウイニングチケットの柴田政人が見せたダービーへの執念

この年、ダービー馬となったウイニングチケットの手綱を取った柴田政人騎手は、日本を代表する名ジョッキーの一人で、数々の名馬に騎乗し、大きなレースで勝利を積み重ねていました。

しかし、この日本ダービーだけは、なかなか勝利することができなかったのです。

「柴田政人は、何故かダービーを勝っていない」というのは、当時の競馬ファンの間でも有名な話でした。

そして、日本ダービーが毎年やってくる度に、「柴田政人はどの馬に乗るのか?」「柴田政人が乗る馬は勝てるのか?」といった話題を、多くの競馬ファンは口にするようになったのです。

柴田政人騎手本人も「ダービーを勝ったら、もう騎手を辞めてもいい」と語るなど、ダービージョッキーの座に執念を抱いていたのです。

ウイニングチケットで早めに先頭に立ち、ビワハヤヒデやナリタタイシンといった有力馬たちを振り切って、先頭でゴールした柴田政人騎手は、場内のファンから祝福の「マサト」コールを浴びます。

そしてインタビューで、この勝利を誰に伝えたいか?と尋ねられて、「世界中のホースマンに、日本ダービーを勝った柴田です、と伝えたいです」と語ります。

この柴田政人騎手の悲願達成に、ダービージョッキーという座の偉大さと、辿り着くことの難しさを、競馬ファンの多くは再認識させられたのでした。

2-3:名手・武豊がようやく掴んだダービージョッキーの称号!!1998年優勝馬スペシャルウィーク

柴田政人騎手と同様、武豊騎手が日本を代表する名騎手の一人である、という評価に疑問を抱く競馬ファンはいないでしょう。

武豊騎手は、この日本ダービーを5回勝利しています。

「ダービー男」と言っても過言ではありません。

しかし、そんな日本ダービーに強い男であり、デビューした直後から若き天才騎手と呼ばれ、数々のG1タイトルを手にしてきた武豊騎手ですが、1987年にデビューしてから、初めて日本ダービーを勝利するまで、11年もかかっているのです。

武豊騎手は今でこそ「ダービー男」ですが、1998年にスペシャルウィークで勝利してダービージョッキーとなるまでは、「ダービーをなかなか勝つことができない騎手」という評判だったのです。

武豊騎手がG1レースを勝利した後に見せるガッツポーズは、嬉しさが自然に出たものというよりも、勝利をアピールすることにより、その馬の強さをファンに表現してみせることが目的だと思えるものでした。

しかし、初めてダービージョッキーの座に輝いた時、スペシャルウィークの馬上で見せたガッツポーズは、明らかに普段とは違っていました。

自らの勝利を噛み締め、喜びを爆発させる若き天才の姿がそこにありました。

日本競馬史における様々な歴史を塗り替える名手にとっても、ダービーは容易に勝つことができるレースではなく、苦しみ抜いた末に掴んだビッグタイトルだったのです。

3:ダービーは競馬界の甲子園

ダービーはどうして競馬ファンをこんなに熱くするのでしょうか?

3歳馬限定のレースですから、そのレベルは古馬も出走可能なレースより見劣ります。

基本的には、その年のダービー馬よりも、春秋の天皇賞やジャパンカップ、有馬記念を優勝した馬の方が強い、と思った方がいいでしょう。

それでも、多くの競馬ファンは、ダービーを熱く見守ります。

その理由は、競馬界における甲子園、とも表現すべき存在だからではないでしょうか。

3-1:一生に一度だから手にしたい

3歳馬限定のレースということは、1頭の競走馬がダービーに出走できる可能性があるのは一度だけ、ということになります。

つまり、そのチャンスを逃すと、その馬はダービー馬を目指すことができなくなるのです。

だから、どんなことがあっても出走したいし、可能であれば勝ちたい、と思うのは自然なことではないでしょうか。

競走馬にとって、3歳という年齢は、人間で例えると10代後半くらいではないでしょうか。

甲子園球場に出場する、高校球児たちに似ていると思いませんか?

その舞台で活躍できるチャンスはごく僅かしかありません。

だから、何が何でも出走したいし、できることなら勝ちたいレースでもあるのです。

3-2:勝てなくてもその場で時を過ごしたい、と願うオーナーたち

ダービーの前後になると、一部の出走馬における関係者たちがインターネット上で批判されることがあります。

2400メートルという距離が明らかに長過ぎると思われる馬や、ダートに適性があると思われる馬がその対象となります。

どうせ、勝てないのだから、もっと適性の高い他の馬にその枠を譲るべきではないのか?

そんな意見を目にします。

しかし、考えてみてください。

競走馬を所有するオーナーたちにとっても、ダービーは特別な舞台なのです。

当日、東京競馬場で自らの所有馬がパドックを歩く姿や、レースで走る姿を見ることができるのなら、オーナー冥利に尽きるのです。

例え、着順が悪くても、自分の所有馬の名前を競馬新聞で見ることができる幸せ、そして馬とともにその瞬間を迎えることができる幸せを噛み締めながら、オーナーたちはダービーのファンファーレを聞くのです。

走る馬よりも、走らない馬の方が圧倒的に多く、そのリスクの高さからオーナーを辞める人もいる状況です。

だからこそ、せめて自分の所有馬がパドックを歩く姿や、自らがデザインを決めた勝負服を身に着けた騎手が、ダービーで騎乗する様子を見たい。

オーナーたちが最もそんな喜びを感じることができるレースが、ダービーなのです。

3-3:ダービー前夜の府中は「眠らない街」に

競馬ファンにとっても、ダービーは特別なレースです。

東京競馬場がある東京都府中市は、ダービーの前日からお祭り状態で、競馬場内やその周辺では、人々の熱気や興奮が感じられます。

そして当日に一般席で観戦予定のファンは、なるべくいい場所でレースを見るべく、早くから並びます。

そんな目的で、競馬場周辺で徹夜する人が多数現れるのもダービーの特徴です。

競馬場周辺のコンビニでは、弁当やおにぎり、飲料水などが品切れ状態となるのです。

ダービー前夜の府中は、特に競馬場周辺は「眠らない街」となるのです。

これも、ダービーの風物詩と言っていいでしょう。

まとめ

ホースマンたちにとっても、ファンたちにとっても、ダービーは特別なレースなのです。

もちろん、出走する馬たちにとっても、ダービーは甲子園に相当する特別な舞台です。

そんな特別なレース、日本ダービーは5月下旬から6月初旬の週末に、東京競馬場で行われます。