古都・京都は、色付く秋が1年で最も美しい季節と言われています。
競馬場も例外ではありません。
秋の京都競馬場は、秋華賞、菊花賞、エリザベス女王杯、マイルチャンピオンシップと、G1レースが相次いで行われます。
マイルチャンピオンシップは、京都競馬場で秋に行われるG1レースのラストを飾るレースです。
これまで、日本競馬史に名を連ねる名マイラーたちが、名勝負を繰り広げてきたG1レースでした。
そのマイルチャンピオンシップで、過去に繰り広げられた名勝負の数々をご紹介しましょう。
1:名マイラー伝説
それでは、日本競馬史に残る名マイラーたちの活躍ぶりをご紹介しましょう。
マイル戦線ならではの個性的な役者たちが、強烈な強さという輝きを放ち、その都度、競馬ファンの記憶に刻まれてきました。
そんな過去の名マイラーたちが登場します。
1-1:突然の大雨もノープロブレム!!~1993年優勝馬シンコウラブリイ~
この日、京都競馬場は朝から弱い雨が降っていました。
しかし、朝の段階では、芝コースは良馬場発表のままでした。
馬場状態に影響を及ぼすほどの雨ではなかったのです。
ところが午後になり、急に雨が強くなります。
8Rの時点ではまだ良馬場でしたが、直後に発表が稍重となり、次の9Rまでに重馬場まで悪化します。
そして、メイン10Rマイルチャンピオンシップの時間帯には不良馬場となりました。
わずか1時間と少々の間に、良馬場から不良馬場まで馬場状態が変化するというのは、常識的には考えられないことでした。
マイルチャンピオンシップの馬券を早めに購入した人の中には、馬場状態の変更により、買い足しを余儀なくされた人もいたことでしょう。
しかし、そんな馬場の悪化も単勝オッズ2.3倍という断然の1番人気に支持されていたシンコウラブリイには何の問題もありませんでした。
前年のマイルチャンピオンシップでは、連闘で挑んで2着に敗れていたシンコウラブリイでしたが、当時敗れたダイタクヘリオスがいないこの年は、大雨ぐらいで動揺するような馬ではありませんでした。
この突然の雨を味方に逃げ粘りを狙うイイデザオウを、最後の直線で捕まえ、そのまま3馬身をつけて、先頭でゴールします。
シンコウラブリイは当初の予定通り、このG1初制覇を最後に引退して繁殖入りとなりました。
ラストランでG1初制覇、しかも突然の雨にも全く動じない強さを見せての勝利と、名マイラーらしい格好良い競走馬生活の締めくくりとなったのです。
1-2:マイル戦なら負けない!!~1994年優勝馬ノースフライト~
この年の春、安田記念を優勝し、マイル戦線の主役となったノースフライトですが、秋は1400メートル戦のスワンSから始動します。
そのスワンSでは2着に敗れました。
敗れた相手は、前年のスプリンターズSを制していたサクラバクシンオーでした。
1400メートル戦では、スプリント王であるサクラバクシンオーがスピードで押し切ることが可能でした。
しかし、更に1ハロン伸びて、マイル戦となると、ノースフライトとサクラバクシンオーの力関係が逆転します。
先行するサクラバクシンオーを、最後の直線半ばで捕まえて、逆に1馬身1/2をつけて快勝します。
マイル戦ならノースフライトの方が強かったのです。
一方のサクラバクシンオーも、続くスプリンターズSを連覇しているのですから、決して弱い馬ではありません。
しかし、マイル戦でのノースフライトは、たとえ相手がスプリント王だったとしても、負けることは許されませんでした。
この両者の1馬身1/2という着差は、距離適性の違いによってもたらされた差と言っていいでしょう。
1-3:世界を制した脚を披露!!~1998年優勝馬タイキシャトル~
タイキシャトルが連覇を達成したレースですが、レース前に発表されたタイキシャトルの馬体重に、驚きの声が挙がります。
その馬体重は524キロ。
2走前の安田記念では510キロでした。
14キロも増えたことになります。
安田記念の後、フランスに遠征していましたので、夏場に休ませた分だけ増えた、という訳ではありません。
しかも、フランスで出走したレースは、ドーヴィル競馬場のG1、ジャック・ル・マロワ賞でした。
全力で海外G1レースに挑み、しかも勝利を挙げ、帰国後の一戦でした。
こうした過程を考えれば、考えるほど、14キロ増は不安材料のようにも思えます。
パドックを歩くタイキシャトルの姿を見ると、確かにやや太めが残っているようにも見える状態でした。
しかし、海外でG1を勝った馬が、こんなところで負ける訳にはいきません。
最後の直線で、後続を5馬身突き放すレースぶりに、その姿を見たファンは海外でG1を勝つ馬の地力を再認識させられます。
「これが、世界を制した脚なのか」と、誰もが溜息と共に見守るしかなかったタイキシャトルの勝ちっぷりでした。
1-4:2000年優勝馬アグネスデジタルの二刀流は、このレースがきっかけだった
マイルチャンピオンシップの前哨戦と言えば、多くの人はスワンSを思い出すことでしょう。
天皇賞・秋からG1連戦というケースも珍しくありません。
しかし、この年の優勝馬アグネスデジタルの前走は武蔵野Sでした(2着)。
ダート戦です。
前走でダート戦に出走していた馬が、芝コースのG1に挑むなんて。
多くの競馬ファンはアクネスデジタルをそんな風に評価していました。
だから、単勝オッズ55.3倍で13番人気という、全くの低評価だったのです。
しかし、このマイルチャンピオンシップを勝利した後のアグネスデジタルを見れば、前走でダートを走っていた馬が芝でG1を勝利しても、何の不思議もないことがわかります。
芝では2001年の天皇賞・秋や香港カップ、2003年の安田記念、ダートでは2001年のマイルチャンピオンシップ南部杯や2002年のフェブラリーSなどを勝っています。
アグネスデジタルは、芝でも、ダートでもG1勝ちを記録している、二刀流の馬でした。
しかし、このマイルチャンピオンシップの時点では、このアグネスデジタルの二刀流ぶりに誰も気が付かず、コース替わりを理由に評価を落としていたのでした。
ダート戦でも走る馬でしたので、地方競馬での出走も多い馬でした。
また海外のG1でも勝ち星を挙げています。
芝もダートも、地方も、そして海外も、とアグネスデジタルが競走馬として歩んだ道のりは、日本調教馬としては異例のもので、引退後も多くのファンに語り継がれてきました。
しかし、中央・地方・海外を通して、最初にG1を勝ったのは、このマイルチャンピオンシップだったのです。
アグネスデジタルの二刀流伝説は、このマイルチャンピオンシップが起点になっていると言っても、決して大げさではありません。
2:波乱となったマイルチャンピオンシップ
名マイラーたちの競演による名勝負が多いマイルチャンピオンシップですが、波乱の決着となった年もありました。
しかし、その波乱の原因となった人気薄の馬が激走した背景を考えると、多くのファンが見落としていたその馬の持つマイラーとしての資質に気付かされることがあります。
そんな波乱のマイルチャンピオンシップをご紹介しましょう。
2-1:2着に人気薄が!!~1995年優勝馬トロットサンダー~
勝ったトロットサンダーも4番人気の伏兵でした。
地方競馬でデビューし、中央に移籍した後も2走前の毎日王冠で2着に入った実績はあるものの、重賞勝利はありませんでした。
しかし、更に驚かされたのは、このトロットサンダーと併せ馬のような形で追い込み、2着に入った、16番人気の伏兵馬メイショウテゾロでした。
近6走は掲示板に載ることさえできないレースが続いていました。
しかし、7走前はこのマイルチャンピオンシップと同じ、京都競馬場の芝1600メートル戦で争われたシンザン記念を勝っていたのです。
このシンザン記念を根拠にすれば、この激走はあり得ないものではなかったかもしれません。
その後のメイショウテゾロは、再び掲示板を外すレースが続き、再び好走することなく、引退の日を迎えます。
マイルチャンピオンシップでこの馬を狙うことができた人は、シンザン記念での勝利を覚えていたからに違いありません。
しかし、そのシンザン記念のみを根拠にメイショウテゾロを狙うのは容易なことではありません。
当時はまだ、3連複や3連単がなかったのですが、馬連の払戻金は104,390円という3連単のような払戻金だったのです。
2-2:2002年優勝馬トウカイポイントは、どうして人気薄だったのか?
この年の勝ち馬トウカイポイントは、単勝オッズ23.8倍で11番人気という伏兵でした。
トウカイポイントはこの年、2月に中山記念を勝利し、8月の札幌記念でも2着に入っていました。
トロットサンダーと違い、重賞勝利の経験もあった馬でした。
大きな理由はマイル戦での実績ではないでしょうか。
地方の岩手でデビューしたトウカイポイントは、JRAに移籍後、東京競馬場での500万下(現1勝クラス)で初勝利を挙げます。
この時はマイル戦でした。
しかし、その後、約2年ほどの間、マイル戦への出走はなく、2000~2500メートル戦のレースばかりを使われるようになります。
久しぶりにマイル戦に出走したのは、前走の富士Sでしたが、前の馬を捕まえ切れずに、5着に敗れます。
下級条件ではマイル戦でも勝ち星はありますが、より長い距離を使われるようになっていて、マイル戦では距離不足と判断された可能性があります。
さらに、この年の安田記念を勝っているアドマイヤコジーンや、前年の香港マイルを勝ったエイシンプレストンなど、マイル戦線で実績上位の馬も出走していたことも、マイル戦での実績に乏しいトウカイポイントが注目されない理由になっていたと考えられます。
しかし、マイル戦はスピードだけでは乗り切ることができません。
そのスピードを持続させるスタミナも必要となります。
マイル戦より長い距離でのレースに実績があったトウカイポイントは、そのスタミナを十分に持っていました。
その点が人気薄での勝利につながったのではないでしょうか。
トウカイポイントはその後、香港に遠征し、この年の香港マイルで3着に入ります。
海外でも互角に戦うことができる、名マイラーとしての資質を持っていたということなのでしょう。
3:マイルチャンピオンシップの傾向
それでは、マイルチャンピオンシップの馬券検討に役立つ、傾向分析を試みたいと思います。
マイル戦の特徴が見えてくる話もありますので、ご注目ください。
3-1:リピーターが多いレース
1984年と1985年のニホンピロウイナー、1991年と1992年のダイタクヘリオス、1997年と1998年のタイキシャトル、2003年と2004年のデュランダル、2006年と2007年のダイワメジャー、そして2020年と2021年のグランアレグリアと、このレースを連覇した馬は、過去に6頭もいます。
リピーターが活躍するレースと言っていいでしょう。
また、シンコウラブリイのように、前年は2着に敗れていた、などという馬が1年後に巻き返すレースでもあります。
こうした傾向は覚えておくべきでしょう。
3-2:前走もマイル戦とは限らない
前述した連覇を決めた馬のうち、グランアレグリアの前走にご注目ください。
2020年はスプリンターズSからG1を連勝する形でマイルチャンピオンシップを勝利しています。
ところが、2021年は天皇賞・秋で3着に敗れた後に、巻き返してマイルチャンピオンシップを勝利しています。
過去の勝ち馬を見ても、スプリンターズSや天皇賞・秋、毎日王冠など、前走がマイル戦ではなかった馬が勝利しているケースが目に付きます。
必ずしも、前走がマイル戦である必要はないということになります。
但し、このレースの王道と言われるステップレース、スワンSも1400メートル戦ですので、マイル戦以外のレースとなりますが、2010年にエーシンフォワードがスワンS(8着)をステップにして勝利して以降、前走・スワンS組から勝ち馬は出ていません。
この点は注意すべきではないでしょうか。
まとめ
マイルチャンピオンシップは今回取り上げたレース以外にも、オグリキャップとバンブーメモリーがハナ差の接戦を演じた1989年など、名勝負が多いことで知られているレースです。
マイル戦線には、個性派が多いのも、その理由なのかもしれません。
一方で、スピードとスタミナの両方を要求されるマイル戦を得意とする馬たちは、引退後に種牡馬や繁殖牝馬として高く評価される傾向があります。
血統のロマンが語られることの多い、競馬の面白さを理解するには最適なレースと言えるのかもしれません。
競馬で勝ちたいなら馬事総論もご覧ください。