G2からG1へ!!大阪杯の過去を振り返る

競馬 G1 過去

大阪杯はJRAで行われるG1競走の中では比較的歴史が浅いレースです。

というのも、2017年にG1に昇格したばかりで、2016年までは天皇賞・春のステップ競走として、G2の格付けで行われていたのです。

しかし、G2時代から数々の名勝負が繰り広げられてきたレースでした。

そして、G1に昇格するにあたり、新たな役割を担うレースにもなっています。

そんな大阪杯の過去を振り返ってみましょう!!

1:G2時代の大阪杯名勝負!!

G1としてはまだ歴史が浅い大阪杯ですが、第1回が行われたのは1957年。

当時は「大阪盃競走」という名称でした。

その後、1964年に「サンケイ大阪杯」、1989年には「産経大阪杯」と名称が変わります。

「産経大阪杯」という言い方は、オールドファンの方も馴染み深いのではないでしょうか。

以前は、天皇賞・春のステップ競走として行われていたG2競走でした。

いわゆる「本番前の一叩き」というレースだったのですが、本番前だからこその対決や名勝負、番狂わせ、といった過去もあったのです。

まずは、そのG2時代の大阪杯を振り返ってみましょう。

1-1:デビューからの連勝記録は止まらない!!~1992年優勝馬トウカイテイオー~

この年の大阪杯は、8頭立てという少頭数でのレースでした。

無理もありません。

あの無敗のダービー馬が復帰するのですから。

その馬の名はトウカイテイオー。

デビューからの戦績は6戦6勝。

その中には、前年の皐月賞と日本ダービーも含まれているという、絶対的な存在でした。

回避する馬が現れるのも無理はありません。

このレースから鞍上が安田隆行騎手(当時)から岡部幸雄騎手(当時)に代わりましたが、全く問題はありませんでした。

前を行くイクノディクタスとゴールデンアワーをあっさりと交わすと、そのまま後続に1馬身3/4差をつけて快勝します。

当時、関西テレビの競馬中継で実況を担当した杉本清アナウンサーが残した名フレーズでも話題となったレースでした。

4コーナーから最後の直線では、「前の2頭(イクノディクタスとゴールデンアワー)はどうでもいい」と叫び、ゴールの瞬間には「マックイーン、見たかぁ!!」と、この後の天皇賞・春で繰り広げられるメジロマックイーンとの直接対決を煽るコメントを、杉本清アナは残したのです。

この勝利でトウカイテイオーは7戦7勝。天皇賞・春を盛り上げる上で、最高の前哨戦となったのでした。

1-2:2001年優勝馬トーホウドリームは、最強馬を破る大金星!!

この年も、単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に支持された実績馬が復帰後の初戦を迎え、注目を集めることになりました。

前年に8戦8勝、そのうちG1・5勝という、圧倒的な戦績で年度代表馬になったテイエムオペラオーが、休養明けの初戦を迎えたのです。

最強馬がどんな強い勝ちっぷりで復帰戦を飾るのか?

誰もがその1点に注目していました。

ところが、レースは思いがけない結末となります。

テイエムオペラオーが最後の直線で伸びを欠き、4着に敗れます。

主な敗因として放牧先が大雪の為に、調整が遅れてしまった点が指摘されました。

また、鞍上を務める和田竜二騎手が怪我の為、復帰戦が予定よりも遅くなったことを敗因として挙げられました。

しかし、それでも「テイエムオペラオーが負けるはずがない」と思っていたファンは多く、想定外の敗戦だったのです。

昔からよく語られている「競馬に絶対はない」という格言を再認識させられたレースでした。

最強馬を破る大金星を挙げたのは、安藤勝己騎手騎乗のトーホウドリームでした。

当時、安藤勝己騎手は地方・笠松競馬の所属でした。

地方競馬所属騎手や外国人騎手が活躍するという、その後に訪れるトレンドの先駆けとなったレースでもあったのです。

2:G1昇格後の大阪杯名勝負!!

前述した通り、大阪杯は2017年にG1レースとなります。

それまでは、伝統ある前哨戦というイメージだった大阪杯がG1となることに、様々な意見がありました。

しかし、G1になってからの勝ち馬を見ていると、このレースがG1となるのは当然のことだったのかもしれません。

そのG1昇格後の大阪杯も振り返ってみましょう。

2-1:G1昇格は2017年優勝馬キタサンブラックの為にあった?!

G1昇格後、最初の大阪杯優勝馬はキタサンブラックでした。

キタサンブラックは前年、G2としては最後となった大阪杯にも出走していました。

当時はハナを切って逃げる競馬だったのですが、直後の2番手でマークされたアンビシャスにゴール前で交わされ、クビ差の2着に敗れていました。

その後の天皇賞・春やさらに前年の菊花賞など、長距離戦でも勝ち星があるキタサンブラックですが、逃げるか、逃げ馬の直後2~3番手で流れに乗る競馬が多い馬だけに、人気を背負うと、どうしても他の人馬から厳しいマークに遭ってしまいます。

前走の有馬記念も人気の先行馬であるが故の厳しいマークが、敗因という見方もありました。

その意味では、2500メートルの有馬記念や、3200メートルの天皇賞・春よりも、この2000メートルの大阪杯は、キタサンブラックには適した舞台だったのです。

「キタサンブラックの為に、大阪杯をG1にしたのでは?」などというジョークも飛び出す中、この日のキタサンブラックは好位3~4番手で流れに乗り、最後の直線で馬群から抜け出し、危なげのない勝ちっぷりで、G1昇格後は初となる大阪杯の優勝馬となったのでした。

評価しなければならないのは、キタサンブラックが次走の天皇賞・春でもしっかりと勝利して連覇を達成、さらに年末の有馬記念でも優勝した点です。

大阪杯の2000メートルという距離がベストな条件だった可能性は高いですが、より長い距離でも答えを出すことができる、地力の高い馬であったことは間違いないでしょう。

2-2:デビュー14年目でG1ジョッキーに!!~2019年優勝馬アルアイン~

JRAには今、外国人騎手が2名所属しています。

この2名の他にも、短期免許で世界のトップジョッキーが多数来日し、騎乗しています。

JRAの競馬学校で学び、騎手免許試験に合格したJRA所属のジョッキーたちは、デビュー後にこうした世界の名手たちと戦わなければなりません。

その戦いはレース中だけではなく、週中の騎乗馬獲得競走にも及びます。

この2019年の大阪杯優勝馬アルアインの手綱を取った北村友一騎手も、そんな厳しい環境の中で戦い続け、ようやくG1ジョッキーの座を獲得します。

デビューから14年目に訪れた、別の騎手が乗ってG1を勝っている馬で挑むことができる絶好のチャンスを逃さずに、仕留める結果となりました。

この大阪杯がG1初勝利となった北村友一騎手はその後、クロノジェネシスやレシステンシアの手綱を任され、更にG1での勝ち星を積み上げることになるのです。

ちなみに、アルアインがこの大阪杯の前に勝ったG1は2年前の皐月賞でしたが、当時コンビを組んでいた松山弘平騎手もその皐月賞がG1初勝利でした。

偶然ではありますが、アルアインは2人のG1ジョッキーを誕生させたことになります。

競馬界には「馬が人を育てる」という話がありますが、アルアインはまさに人(騎手)を育てる馬だったのです。

2-3:牡馬を相手にG1勝利~2020年優勝馬ラッキーライラック~

大阪杯のG1昇格により、進むべき方向性の選択肢が広がった馬もいます。

牝馬などはその典型的な例ではないでしょうか。

春シーズンに、ヴィクトリアマイルというG1レースはありますが、牝馬と言えども、マイル戦では距離不足という馬もいます。

だからと言って、多くの牝馬にとって、3200メートル戦の天皇賞・春は距離が長過ぎます。

2000メートル戦なら最大のパフォーマンスを発揮できる、という馬は少なくありません。

2020年の大阪杯優勝馬ラッキーライラックも、そんな牝馬の1頭です。

2歳馬だった2017年にマイル戦の阪神ジュベナイルフィリーズを勝っていますが、後には2019年のエリザベス女王杯を優勝するなど、マイル戦では距離不足という印象のある牝馬でした。

そんなラッキーライラックにとって、大阪杯は絶好の舞台でした。

それまで重賞では牝馬限定戦での勝利ばかりだった馬が、牡馬相手の大阪杯で勝ち星を挙げたのです。

牡馬相手の勝利は、ラッキーライラックにとってこれが初めてだったのです。

この翌年2021年の大阪杯も牝馬のレイパパレが優勝しています。

牝馬戦線においても、大阪杯のG1昇格は大きな意味を持つものだったのです。

3:G1昇格が意味するもの

「もうこれ以上、G1レースは必要ないのでは?」という声がある中で、大阪杯は2017年にG1となりました。

もちろん理由があるからこそ、G1に昇格するのです。

その理由を考えると、現在の日本競馬界、いや世界中の競馬におけるトレンドが見えてきます。

そのトレンドを探ってみたいと思います。

3-1:最強馬の定義が変わる?!

世界的な傾向として、牝馬の活躍が目立っています。

凱旋門賞で牡馬を相手に勝利する牝馬は、全く珍しいものではありませんし、この点は国内のG1でも同様です。

しかし、牝馬が活躍できるようになった、と言っても、3200メートルの天皇賞・春は牝馬にとって距離が長過ぎます。

また、長距離戦で要求されるスタミナよりも、短・中距離戦向けのスピードを重視する傾向も目立つようになりました。

G1は、将来有望な種牡馬や繁殖牝馬を選定する重要な場でもありますから、こうしたニーズに的確に応える必要があります。

そうなると、2000メートル戦の大阪杯を、3200メートルの天皇賞・春よりも重視すべきだという声が挙がるのは当然です。

最強馬は天皇賞・春ではなく、大阪杯から誕生する、というのが常識となる日も遠くないのかもしれません。

3-2:ドバイか?阪神か?

大阪杯が行われる3月末から4月初旬にかけての時期というと、海外ではUAE・ドバイのメイダン競馬場で行われるドバイワールドカップデーに注目が集まる時期となります。

毎年、ドバイへは日本から数々の名馬が向かっています。

大阪杯とカテゴリーが重なるレースと言えば、ドバイターフか、ドバイシーマクラシックということになるのかもしれません。

しかし、日本の実力馬たちがこの時期に皆海外を目指すようになると、国内の競馬が空洞化しかねません。

その為、この時期に行われていた大阪杯をG1にすることで、ドバイへ傾きがちな有力馬の流れを引き留めたい、という意図もJRAにあったのでしょう。

もちろん、海外遠征には経験や輸送コストなど、様々なリスクが伴います。

中には、そのリスクを回避したいけど、走らせたいレースが国内にはない、という現状を避けるためにも、ドバイターフやドバイシーマクラシックなどといった古馬・中距離路線向きの馬たちについて、国内に同様の選択肢を用意することは必要なことだった、と言っていいでしょう。

まとめ

G1はそのカテゴリーの頂点に位置するレースですので、G2からG1に昇格するということは、大阪杯というレースが単なる叩き台から、ホースマン達が目標として目立つ存在となったことを意味します。

まだ、G1となってからの歴史が浅いので、伝説と呼ぶべきレースはありませんが、いずれは、天皇賞・春を上回る伝説が積み重なるレースと言えるのかもしれません。

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