最も速い馬は?皐月賞の過去を振り返る

競馬 G1 過去

皐月賞、日本ダービー、菊花賞という牡馬クラシック3冠戦線。

その中で、最初に行われるのが皐月賞です。

同じ3歳馬の戦いでも、日本ダービーや菊花賞と比べて、それぞれの馬同士の力関係がまだはっきりしない時期に行われるレースで、「最も早い馬が勝つ」と呼ばれるのも特徴です。

3冠戦線の第1弾、皐月賞の過去を振り返ってみましょう。

1:伝説は皐月賞で始まる

後に3冠馬となる馬も、まずはこの皐月賞に挑まなければなりません。

全ての伝説は、この皐月賞で始まるのです。

それでは、後の3冠馬たちは、皐月賞でどんなレースぶりだったのか、振り返ってみることにしましょう。

1-1:シャドーロールの怪物現る!!~1994年優勝馬ナリタブライアン~

ナリタブライアンと言えば、白いシャドーロールがトレードマークでした。

この日は、1枠1番からの発走でしたので、帽子の色も白でした。

白の帽子に、白のシャドーロールで挑んだナリタブライアンは、逃げるサクラエイコウオーが作った、1000メートル通過58秒8という、明らかなオーバーペースの中、3コーナー手前で早めにスパートします。

仕掛けが早すぎるのでは?と場内から驚きの声が挙がりますが、ナリタブライアンにとって、この程度は全く問題ではありませんでした。

最後の直線で先頭に躍り出ると、そのまま後続に3馬身1/2差で快勝します。

場内のファンが驚いたのは、1分59秒0という走破タイムでした。

当時の中山競馬場における、芝2000メートル戦のレコードタイムを更新するものだったのです。

コースレコードタイムの更新は、普通は競走馬として完成された古馬によって達成されることが多いのですが、ナリタブライアンはまだ成長途上にある3歳の春に、そんな離れ業をやってのけてしまったのです。

この馬は、更に強くなったら、どんな馬になるのだろう?

中山競馬場でのレコード決着に驚いたファンは皆、ナリタブライアンの白いシャドーロールを見ながら、想像を膨らませたのでした。

1-2:2005年優勝馬ディープインパクトにヒヤリとさせられた瞬間

これまで日本競馬界に誕生した3冠馬の中でも、史上最強と評価されることが多いディープインパクトですが、この皐月賞だけはヒヤリとさせられた、というファンは多かったのではないでしょうか。

ゲートが開いた瞬間に躓いて、鞍上の武豊騎手が振り落とされそうになったのです。

一瞬、場内からは悲鳴のような声も挙がりました。

体勢を建て直されたディープインパクトですが、レース前半は後方からのレースを余儀なくされます。

向正面でも、他の馬と接触するアクシデントもありました。

しかし、ディープインパクトは全く動じませんでした。

3コーナー手前でスパートし、進出すると、4コーナー手前で武豊騎手に入れられたステッキに応えるかのように、更にスピードを上げます。

そして、最後の直線で抜け出し、2着以下に2馬身1/2差で勝利したのです。

アクシデントでヒヤリとさせられましたが、全く動揺することなく、あっさりと勝利したディープインパクトの姿は、その後の日本ダービーや菊花賞でのパフォーマンスが楽しみになるほどのものでした。

1-3:2011年優勝馬オルフェーヴルは東京競馬場での勝利

この年の皐月賞は、例年の中山競馬場ではなく、東京競馬場での実施でした。

東京競馬場で皐月賞が行われたのは、ヤエノムテキが勝った1988年以来となります。

1988年は中山競馬場の改修工事がその理由でしたが、この2011年は全く異なる理由でした。

3月に東日本大震災が発生し、中山競馬場はその震災による被害を受けたのです。

東日本大震災は津波等によって、多くの命を奪い、さらに原発事故の原因にもなりました。

こうした社会の混乱もあり、東日本地区の競馬開催は中断を余儀なくされます。

再開されたのは、1ヶ月後の東京競馬場でした。

中山で実施できなかった皐月賞は、競馬が再開されたこの週末に、舞台を東京競馬場に移して行われたのです。

震災直後は、競馬が再開される日など、全く想像できない状態でした。

日本中が自粛ムードに包まれていましたので、わずか1ヶ月後の競馬再開に一部では疑問の声も挙がりました。

こうした状況下で行われた、いつもとは違う皐月賞だったので、勝利したオルフェーヴルの手綱を取っていた池添謙一騎手は、ゴール板を過ぎた後も、ガッツポーズなどをすることはありませんでした。

競馬場に集まり、馬券を買ってレースを楽しんだ競馬ファンたちと同様に、騎手や競馬関係者も、この再開を待ち望んでいました。

しかし、この再開を手放しで喜ぶことができない状況下でしたので、池添謙一騎手も派手なパフォーマンスを控えざるを得なかったのです。

その池添謙一騎手を含む、この日の東京競馬場で騎乗していた騎手たちは、最終レース後に競馬場内で行われた募金活動に参加していました。

レースの結果よりも、競馬が再開されたことに感謝し、自分たちが被災地にできることは何かを考えなければならないという、特別な状況下での皐月賞でした。

1-4:無敗のG1馬対決での勝利~2020年優勝馬コントレイル~

皐月賞に出走する3歳馬の多くは、前年の2歳時にデビューします。

そして牡馬には朝日杯フューチュリティS、牝馬には阪神ジュベナイルフィリーズという、2歳馬によるG1レースも組まれています。

2017年に、この2歳のG1レースがもうひとつ増えました。

年末に行われていたホープフルSがG1に格上げされたのです。

この為、牡馬クラシック戦線は2歳G1馬が2頭いる中で行われるようになったのです。

この2020年の皐月賞は、無敗で朝日杯フューチュリティSを勝ったサリオスと、同じく無敗でホープフルSを勝ったコントレイルという、無敗の2歳G1馬2頭が直接対決の場となりました。

この2歳G1馬2頭には、無敗でG1馬になったということとは別に、ある共通点がありました。

共に前哨戦は使わず、3歳馬となって以降の初戦が皐月賞だったのです。

2頭は共に休養明けですから、3歳になってからトライアルレースやステップレースを使われた馬が割って入る可能性もあるのではないか、という声もありました。

しかし、最後の直線で叩き合いを演じたのは、このサリオスとコントレイルのG1馬2頭でした。

スプリングSで皐月賞への切符を手に入れたガロアクリークが3着に入りましたが、2頭とは3馬身1/2差がついていました。

2歳G1馬2頭の地力は、他の馬たちよりも遥かに上だったのです。

そしてG1馬対決を制したコントレイルは、その後に日本ダービーと菊花賞も勝って3冠馬となりました。

2歳G1馬が対決したことにより、この年の皐月賞はハイレベルなものになった、という見方もできるかもしれません。

2:大波乱の皐月賞

中山競馬場は小回りで直線が短いコースですので、波乱になりやすい舞台です。

皐月賞でも波乱となったケースが何度かありました。

波乱となった菊花賞を振り返り、今後の皐月賞での馬券検討に活かしてみませんか。

2-1:1997年サニーブライアンが人気薄だった理由

この年の勝ち馬サニーブライアンは、続く日本ダービーも勝利し、2冠馬となっています。

しかし、この皐月賞では11番人気という、全くの人気薄でした。

人気がなかった理由は、皐月賞への臨戦過程にあると言っていいでしょう。

2走前の弥生賞で3着に入り、この段階で皐月賞への優先出走権を獲得していました。

ところがその後、皐月賞に直行せず、若葉Sに出走するのです。

優先出走権を持っているのに、どうしてわざわざ別のトライアルレースに駒を進めたのでしょうか?

サニーブライアンはレース間隔が空くと太りやすい体質だった為、皐月賞の前にもう一度使った方がいい、と陣営が判断した為に、若葉Sに出走したのです。

その若葉Sは4着でした。

皐月賞の前に、トライアルレースを2回も使っている上に、その2走では3着、4着と、勝利してはいませんでした。

この臨戦過程と、着順が評価を下げる結果となったのです。

レースは1000メートル通過61秒1という緩い流れの中、サニーブライアンは2番手でレースを進め、3コーナーで先頭に立ちます。

楽な流れでの先行策でしたので、4コーナーから最後の直線に入っても、サニーブライアンの脚色は衰えませんでした。

最後は、猛然と追い込んできたシルクライトニングをクビ差で振り切ってゴール。

単勝5,180円、馬連51,790円という大波乱となったのでした。

2-2:抽選をくぐり抜けての勝利~2002年優勝馬ノーリーズン~

この年の勝ち馬ノーリーズンですが、前走のトライアルレース、若葉Sで7着に敗れ、優先出走権を獲得できませんでした。

ノーリーズンが皐月賞に出走する為には、同じ条件の馬7頭による抽選をくぐり抜ける必要がありました。

7頭中、皐月賞に出走できる馬は2頭。

7分の2という、狭き門だったのです。

運に全てを託すしかありません。

ノーリーズンと陣営には運がありました。

この厳しい抽選を突破して、皐月賞に駒を進めることができたのです。

ノーリーズンの運は、皐月賞でも続いていました。

最後の直線で馬群から抜け出し、先頭でゴール板を駆け抜けました。

単勝の払戻金は11,590円。

15番人気で、単勝万馬券という決着でした。

馬連も53,090円という大波乱でした。

ノーリーズンとその陣営も幸運の持ち主でしたが、この馬券を的中させた人も強い運を持っていたに違いありません。

3:変わりゆく皐月賞

皐月賞は牡馬クラシックの1冠目ですので、まだその世代のトレンドが確立されていない時期に行われます。

しかし、レース後に改めて分析すると、日本競馬界の進化と共に、トレンドにも変化が見られます。

その変化について、言及しようと思います。

3-1:近年は臨戦過程に変化が?!

前述した通り、2020年の勝ち馬コントレイルは、前年のホープフルSから皐月賞に直行しています。

3歳になってからはトライアルレースを使わず、皐月賞がこの年初めてのレースでした。

実はその前年2019年の皐月賞を優勝したサートゥルナーリアも、ホープフルSから直行の形で皐月賞馬になっています。

2歳G1を勝つほどの地力があれば、休養明けで皐月賞に挑んでも勝ち負けになる、ということなのかもしれません。

オールドファンにとっては、考えられない話なのかもしれませんが、それが最近のトレンドなのです。

3-2:フルゲート割れの年も

近年の皐月賞ですが、ドゥラメンテが勝った2015年は15頭立て、エポカドーロが優勝した2018年は16頭立て、そしてエフフォーリアが皐月賞馬となった2021年は16頭立てと、フルゲートに満たない頭数で争われています。

小回りで直線が短い中山競馬場を嫌う陣営が現れるようになったのです。

また2月下旬から続く連続開催の最終週に行われるレースですので、馬場状態が良くない年もありました。

多くの陣営は、皐月賞よりも次の日本ダービーを重要視しています。

管理馬がダービー馬となる為には、皐月賞で無理をせず、ダービーに合わせて調整すればいい、という陣営が増えたことで、皐月賞がフルゲートにならないケースが増えたのです。

2歳G1から皐月賞に直行する馬がいるのも、皐月賞を一叩きして日本ダービーへ、という発想がそうさせているのかもしれません。

まとめ

出走馬の中には、この皐月賞が初めてのG1出走となる馬もいます。

しかし、どの馬も次の日本ダービーこそが目標とすべきレースですので、取り組み方が難しいレースでもあります。

難しいのは競馬関係者だけではありません。

馬券を買うファンにとっても難しいレースですが、難しいということは、それだけ面白いレースであると言っていいでしょう。