世界中、競馬場がある国はどこでも、G1レースと言えば、それぞれのカテゴリーにおける最高峰のレースとなっています。
もちろん、日本競馬界も例外ではありません。
最高峰のレースですから、名馬と呼ばれる馬が出現し、名勝負が繰り広げられます。
中には、波乱の決着となるレースもありますが、そんなレースでもその中には様々なドラマが展開されています。
そんな日本国内におけるG1レースの数々をご紹介したいと思います。
1:名馬伝説が産まれるG1レース
G1レースは、名馬が産まれる舞台です。
既に名馬と呼ばれる馬が、その強さを競馬ファンに見せつけるケースもありますし、その名馬と呼ばれた馬を破って、新たに名馬と呼ばれる馬も実在します。
G1レースで、名馬が、そしてその名馬の伝説が産まれる過程を振り返ってみましょう。
1-1:3冠馬ヒストリー
日本で名馬が最も産まれやすいG1レースと言えば、牡馬クラシック3冠戦線ではないでしょうか。
牡馬クラシック3冠戦線とは、皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3つのレースを意味します。
小回りの中山競馬場で行われる皐月賞は、2000メートル戦と3冠戦線の中でも最も短い距離で争われるいうこともあり、「最も速い馬が勝つレース」と言われています。
東京競馬場の2400メートル戦という、ジャパンカップでもお馴染みの舞台で行われる日本ダービーは、海外では「ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になることより難しい」という格言もある通り、実力だけではなく、運も必要なことから、「最も運のいい馬が勝つ」と語られています。
京都競馬場の3000メートル戦という、3冠戦線では最も長い距離で争われる菊花賞は、豊富なスタミナを要求されることから、「最も強い馬が勝つ」と評されるレースでもあります。
この3冠戦線に出走できるのは、3歳馬だけです。
一生に一度しか出走のチャンスがありません。
こうした3つのレースに賭ける馬、そして調教師や騎手、厩務員たちの姿を見ていると、競馬界における甲子園のような存在に思えてきます。
1-2:名牝と呼ばれた馬たち
1990年代までは、競走馬のセリ市などに行くと、牝馬は牡馬に比べて、安い価格で取引されるケースが少なくありませんでした。
天皇賞・春などの長距離戦では、どうしてもスタミナ勝負になると弱さを露呈する牝馬は、その価値が低く見られるのは仕方のないことだったのかもしれません。
しかし近年、世界の競馬界では牡馬よりも牝馬の活躍が目立っています。
安田記念やマイルチャンピオンシップなどといった、スピードが重視されるマイル戦やより短い距離のレースばかりではなく、天皇賞・秋や大阪杯、宝塚記念といった中距離戦でも、牝馬が台頭するようになったのです。
そして、2007年には牝馬のウオッカが日本ダービーを勝つまでになったのです。
2000年以降、牝馬が競馬界の頂点に経つケースは、日本でも、海外でも不思議なことではなくなったのです。
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2:日本でG1を勝った外国馬たち
日本の競馬は1990年代までは、残念ながら「後進国」と言われても仕方がない状況でした。
そこで国際招待競走を設け、世界的な名馬と日本調教馬を対決させることで、日本のホースマンたちに刺激を与えようと、JRAはジャパンカップを創設し、安田記念を国際招待競走としたのです。
現在、日本で行われる全てのG1レースは、外国馬の参戦が可能となりましたが、先駆けとなったジャパンカップと安田記念は、来日した外国馬たちの頑張りにより、日本の競馬ファンが海外競馬を知るきっかけとなったのです。
2-1:ジャパンカップで世界を知る
ジャパンカップが創設されたのは1981年。
海外から来日した馬たちに、日本調教馬が全く歯が立たない、という時期もありました。
しかし、近年はレベルアップした日本調教馬を警戒し、外国馬がなかなか参戦しなくなったのです。
そして2019年のジャパンカップは、外国馬が参戦しない事態となりました。
強い外国馬はなかなか参戦しなくなりましたが、代わりに母国の競馬がシーズンオフとなり、短期免許で来日する外国人騎手の姿がジャパンカップでも目立つようになりました。
国際化は騎手にも当てはまることなのです。
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2-2:安田記念も世界を教えてくれるレース
ジャパンカップに続いて、国際招待競走となったのは安田記念でした。
安田記念を外国馬が優勝したのは、1995年のハートレイク(UAE)、2000年のフェアリーキングプローン(香港)、2006年のブリッシュラック(香港)の3例しかありません。
しかし、フェアリーキングプローンが勝った2000年のように、レース前の思わぬアクシデントにより、海外競馬の意外な側面を日本の競馬ファンが知ったケースもありました。
その意味でも、マイル戦である安田記念が国際招待競走となったのは、大きな意味があった、と言っても過言ではありません。
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3:涙も、そして波乱もあるG1レース
トップレベルの馬同士の争いだからこそ、涙なしに語ることが出来ない決着となるケースがあるのがG1レースです。
そして、想定外の波乱となることが多いのもG1レースの特徴です。
感涙にむせぶG1レース、波乱に度肝を抜かれたG1レースを取り上げてみましょう。
3-1:G1感涙物語
春秋の天皇賞は、涙なしに語ることができない名勝負が多いレースではないでしょうか。
春は長距離戦ならではの駆け引きが、秋は中距離戦であるが故に、別路線組からの参戦が名勝負を生み出します。
そのG1レースだけではなく、ステップレースに相当するレースも含めたストーリーで見た時に、感動的な場面に遭遇するケースが多いのも、春秋の天皇賞における特色でもあります。
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3-2:波乱にもドラマが!!
年末の大一番である有馬記念と言えば、1990年のオグリキャップや、1993年のトウカイテイオーのように、感動的な勝利を競馬ファンに見せてくれることが多いレースです。
しかし一方で、1991年のダイユウサクや、1992年のメジロパーマー、2015年のゴールドアクターのように、全く注目されていなかった馬が主役になってしまう年もあるのが有馬記念なのです。
波乱となった有馬記念でも、こうした勝ち馬だからこそのドラマもあるのです。
そんなドラマを見つけるのも、競馬の面白さではないでしょうか。
まとめ
様々なG1レースについて語ってきましたが、どのG1レースも、まだ物語は完結していません。
今年はこんな展開だったけど、来年は全く別のストーリーになっているかもしれません。
そう考えると、競馬を止める、というのは、その面白さを知ったファンにとっては、非常に難しいことではないでしょうか。
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